蠢く悪夢

「だから飛行機はいやなのだ。」
今の精神不安定な私は、心の底からそう思っている。

「人類は飛行機の発明により、それ以前より飛躍的に進歩した。」
そのように考える人もいる。確かに飛行機ができる前の時代と比較して、人類は間違いなく早く、遠くに行けるようになった。20世紀以降の歴史は飛行機が創りあげ、支えてきたといっても過言ではない。

飛行機の便利さを最も享受しているのは遠方への出張が多いビジネスマンたちで、空港の近くに住んだ方が便利だと思う。しかし、飛行機で行かなければならないほどの遠隔地に出かけること自体に対して消極的極まりない考えを持つ私にとっては、そのような教科書的な飛行機の価値なんて大いに怪しいものである。

 そもそも私自身は飛行機に乗ること自体があまり好きではない。
 飛行機というものの難点として、いや、もはや特性としてエンジンが爆音である。そのせいで空港という施設は付近の住民に疎まれており、結果として空港という施設は往々にして辺鄙な位置にある。つまり行くまでの行程がものすごく面倒なのである。飛行機に乗って早く目的地にたどり着くために、数十分もかけてやっとことで空港にたどり着く。
 それであれば空港に向かうために乗っている電車で、そのまま目的地まで行ってしまいたいとまで思ってしまうのである。

また空港に着いてからも、それはそれで面倒である。
飛行機は登場するまでの手続きが、非常に煩雑で“もう乗る気がなくなってしまう”くらいに面倒なのである。荷物の大きさ、重さが少しでも規定より溢れていたらすぐに、積載不可。別料金ならまだましである。たとえ荷物を無事に預けることができたとして、100数十人が2列しかない手荷物検査を何十分もかけて通らなければならないのである。

 先ほどまでとりあえず早く飛行機に搭乗してしまいたいと思っていた私は、いつしかそんなことを思いながら、ひたすら歩いていた。

 ふと乗り継ぎで下車した京急本線「京急蒲田」駅の構内で、どこか遠くで鳴いている蝉の声がふと耳に入った。